ごあいさつ

こんにちは。
”英語でも仕事が評価される” をあたりまえに
「マネージャーのための英語ビジネスコミュニケーション術」河野 木綿子(こうのゆうこ)のホームページにおいで下さいましてありがとうございます。
 
このページでは河野木綿子のプロフィール、25歳で英語の職場でゼロからビジネス英語を学びだし、順調なキャリアを歩んでいた私が、なぜ英語のビジネスコミュニケーションを教えようと起業して「英語パーソナルトレーナー」を始めたのかと、ネーミングの由来等についてご紹介します。

河野木綿子のプロフィール

河野木綿子
こうの ゆうこ
日本人ビジネスパーソンの仕事の英語デビューを叶えるために、文法基礎の補強、発音とマナー、実際にご自身のお仕事の場面で英語を話す練習をご提供しています。
経歴は大手外資系企業の人事部で25年間のビジネス実績を持つ人材開発、採用の専門家。世界最大のコングロマリット、シーメンスの日本組織で採用・人材開発の責任者を務めました。
30代後半で学習理論と効果測定をロンドン大学大学院で学び、それ以降実務に活かしています。

日本第1号の 仕事の英語パーソナルトレーナーとして2014年に開業。
個人契約のクライアントさんは著名人を含む90名、ワークショップ、動画教材での学習者は2,000人にのぼります。

【著書】
『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』
『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』

【学歴】
1983年上智大学新聞学科卒業
2000年ロンドン大学心理学部 大学院卒業

【主な勤務先】
シーメンス、ファイザー、バクスター、モルガンスタンレー

【主な業績】
社長賞はグループ受賞2回、個人受賞2回

@シーメンス
・自社製コンピテンシーモデル制作プロジェクトリーダー
・人事考課面接研修、企画・実施
・採用面接官トレーニング(深層背景面接)
・M&A人事制度・企業文化統合

@ファイザー
・社内公募企画運営(年間54件成立)
・管理職登用制度アセスメントセンター方式、企画・導入
・社内MBAスクール、企画・運営
・360度評価導入

【資格】
・ケンブリッジ英検 (1987)
・IELTS 7.5 (1998) ※旧英連邦の英語4スキルテスト
・英国心理学協会の能力・適性テストの実施資格 (2000)
※企業で面接、適性検査、能力検査を実施する資格

【所属団体】
インディペンデントコントラクター協会 -前理事
DMM英会話 -法人向け英語研修講師 
DMM英会話「なんてuKnow」アンカー(回答者)
クインテグラル株式会社 -パートナー講師
NPO学習学協会 -認定英語学習コーチ
日本ケースメソッド協会-元理事

モルガンスタンレー、バクスター、ファイザー、シーメンス等の大手外資系企業で人事の仕事をしたのち、2014年より現職『仕事の英語パーソナルトレーナー』。
1960年東京都生まれ。

専門分野は人材開発と異文化間コミュニケーション

著書に『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』
Udemy 動画教材に『シンプルに一度で伝わる!英語プレゼン初級者コース』『英語でチームがまとまる・仕事がはかどる「超入門」異文化間コミュニケーション術』がある。

自分自身が25歳でビジネス英語力ゼロから仕事を通じてビジネス英語を学ぶ。大手外資系シニアマネージャーの経験を活かして
英語力はあるのに、英語で仕事が出来ないお悩みを解決するため「英語ビジネスコミュニケーション」「異文化間コミュニケーション」を幅広く教えている。メディア取材歴多数。

ブログもやってます

メディア掲載

実績

2014年5月・「仕事の英語パーソナルトレーナー」を開業 日本第1号の英語パーソナルトレーナーとなる
2015年『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』あさ出版より出版
Americal Management Association(当時)パートナー講師就任
インディペンデントコントラクター協会理事に就任
日本女子経営大学院にて女性管理職育成メンター就任
2017年『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』すばる舎より出版
・Microsoft様にて管理職向け異文化間コミュニケーションワークショップ開催
2020年Udemy(ベネッセ)から動画教材『シンプルに一度で伝わる!英語プレゼン初級者コース』リリース
・ドイツ系自動車部品メーカー次期役員候補育成プロジェクトに参画
2021年・Udemyより2本目の動画教材『英語でチームがまとまる・仕事がはかどる「超入門」異文化間コミュニケーション術』をリリース
・上記Udemy2コースとも日経225社向けUdemy Business に選ばれる(評価上位3%のコース)

なぜ私が英語コミュニケーション術を教えるのか?

1983年 上智大学新聞学科卒、(株)西友に入社。
広報室に行きたかったのに想定外で人事部教育担当に配属されました。
世の中は高度経済成長時代で「国際化」という言葉が広まり、バブルの崩壊まではイケイケどんどんの時代が続きます。

当時は正直なところ「人材育成ってなに?」と戸惑いましたが、採用担当者が「適性がある」と判断されたなら、まずはやってみよう。と素直にその仕事に入りました。

英語が話せない就活生が日本企業に就職後、離婚を経て英語の世界に飛び込み、外資系企業へ

就活の時、外資系企業に応募する同級生がまぶしく、遠くから見ていたことを覚えています。でも就職4年目に離婚したため、ひとりで生活費を稼がなければならなくなりました。

英語を身に付ければ仕事の幅が広がり、食べていくのに困らなくなるだろうと考え、イギリス系語学学校インターナショナルランゲージセンターに転職。
出勤第一日目から英語が全く聞き取れず、なんどもSorry? Sorry?と聞き返す日が3ヶ月続きました。
でも「出戻り」の職ナシになるわけにはいかないと歯を食いしばって、毎日周りの人たちの英語を聞いて練習するうちに英語を聴き取る、話すができるようになりました。

その後モルガンスタンレー人事部で採用業務を通じて英語での電話、Eメール身に付けた後、(株)バクスターのR&D部門に入社しました。

R&Dの研究所長のバイリンガルセクレタリーとして世界各国の社員とのやり取りを経験。
社内公募で再び人事部教育担当にもどりました。

当時まだ珍しかった「360度評価制度」(上司評価含む)の導入を担当したことがきっかけで、人事の基本になる心理学と最先端の人事の知識・スキルを学ぶ必要性を感じて留学を決意しました。

人事の専門性を高めるために、38歳でロンドン大学心理学部大学院に留学

学生寮に住み、丸一年間(イギリスの大学院は履修期間1年間)休みなく、みっちり学びました。帰国後、バクスターに戻りたかったのですがリーマンショックのあおりを受けて採用凍結が敷かれ戻れなくなりました。

そのため半年の就職活動の結果、ファイザーの人事部に職を得て、大学院で学んだ世界最先端の知識を活かすこととなりました。管理職昇進制度、コンピテンシーモデル作成、オンライン360度評価の浸透など、海外の最先端の制度を企画、導入、運用を担当することができました。

新しい企画の承認を役員会で取り、その後は各事業部に導入のためのプレゼンをする。プレゼンテーションを磨いたのは振返えってみるとこのときです。

役員会に足しげく通うことで当時のカナダ人社長からは「やあ、また君か!」Oh, it’s you again! と覚えてもらい、上司からは「人事の切込み隊長」というあだ名を拝命しました。

その後シーメンスで人事のM&A業務を経験した後、初の採用・人材開発シニアマネージャーの兼任をすることになり責任範囲は16グループ会社に及びました。このとき社長から呼び出されて給与が半年遡って1.5倍になりました。外資系の成果主義とはこういうことだと実感しました。この時代は国内外で2つの業務を担当していたため、毎日1つから3つの国際電話会議に出席していました。

今、振返ると大手外資系企業での実務経験は25年。その間に4度の社長表彰をプロジェクトリーダーとして、またはメンバーとしていただきました。

なぜ会社を辞めて英語のビジネスコミュニケーションを教えることにしたのか?

私はTOEICの満点を取ったことはありませんし、試験のための勉強をしたことはありません。必要な英語をひとつひとつ覚えて使い、間違っては覚えるの繰返しでした。・そのために心がけたのは常に誰に対しても明確で失礼のないメッセージを発信することを心がけてきました。

シニアマネージャーになってから採用と人材開発の両方の責任者になりました。
部下の皆さんは帰国子女のかたや、海外で仕事をしていた英語が堪能な方ばかりでした。

英語のせいでキャリアの選択肢を広げられないのはもったいない!

ところが英語が堪能なはずのメンバーに「今度の役員会で、それプレゼンしてみましょうか?」と声を掛けると「できません!」「河野さん、やってください」という答えばかり。代わりに私がプレゼンをすることが多かったです。

またM&Aのさ中、仕事がとてもできて私が自分の片腕として頼りにしている方が「英語ができない」というだけで組織を去らなければならないという事件がありました。

そのとき強く思いました。

「仕事ができるのに英語が出来ない人、
英語ができないばかりに経営陣に知られることのない人、
グローバルのプロジェクトに参加できない人がいる。モッタイナイ。なんとかしたい!」

まだ元気な50代前半のうちに、英語のビジネスコミュニケーションを教える仕事をしたい。と思うようになりました。
まだこのときは「どういう形式で教えようか」という具体的な形は思いつきませんでした。

「英語のパーソナルトレーナー」というタイトルはトレーディング中に突然降ってきました。

さてここからは、当時まだなかった「英語のパーソナルトレーナー」という仕事の仕方を思いついた瞬間のことをお話しさせてください。
「英語パーソナルトレーナー」という発想と名前はおそらく私が日本で第1号だと思います。それは2013年の11月のことです。

実は会社を離れて開業準備にはいったとき「どうしたらビジネスパーソンを英語を話せるようにしてあげられるか」ということを寝ても覚めても考え続けていました。

国内・国外の出張もなくなり、空いた時間で始めたトレーニングジムで、初めてパーソナルトレーナーさんに付きました。
マシーントレーニングをするときにトレーナーさんしてくれていたこと。
それは;

  • このトレーニングは何に効くのか説明しする
  • どういう動きをするのかやってみせる
  • 生徒である私にやらせてみる
  • フィードバックをする。うまく行けば一緒に喜ぶ!改善の余地があれば指摘してできるまでさせる

パーソナルトレーナーさんと①から④の手順で筋トレをしながらをしながら「英語を教えるのも、この方法だ!」と思いました。
以前から「仕事で使う英語って机に向かって勉強するものんじゃないよね。使わないとだめだよね」
そんなふうに思っていた私は「英語のパーソナルトレーナー」という仕事の仕方を始めよう!と決心しました。
翌、2014年5月1日付けで私は税務署に「仕事の英語パーソナルトレーナー」という屋号で届け出を出しました。

2年後から大手の英語パーソナルトレーナーの会社が続々と市場に参入して、今では英語パーソナルトレーナーは
当り前の存在になりました。

8年半経った今では教えているのはビジネス英語から広がって英語のビジネスコミュニケーション術全般を教えるようになりました。

ときには法人契約で、マイクロソフトさん、ドイツ系自動車部品メーカー等で管理職向けの英語のワークショップも開催しています。

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