ごあいさつ

こんにちは。
”英語でも仕事が出来る” をあたりまえに
「英語ビジネスコミュニケーション術」河野 木綿子(こうのゆうこ)のホームページにおいで下さいましてありがとうございます。
 
私が初めて英語の職場に転職したのは25歳のとき。純粋に日本生まれ、日本育ちです。
ビジネス英語をゼロから身に付けて、外資系人事で25年間した後、なぜ「英語パーソナルトレーナー」を始めたのか。
そしてそのネーミングの由来についてご紹介します。

河野木綿子のプロフィール

河野木綿子
こうの ゆうこ
『仕事の英語パーソナルトレーナー』代表の河野木綿子です。
個人向け、法人向けに英語力育成と使い方のトレーナー、研修講師をしています。


<私の英語の原点>
今では自分の仕事、プレゼン、講演も英語でこなしています。

でも新卒当時は英語が話せなかったので「日系企業」に就職しました。
入社2年目に結婚しましたが25歳で離婚。お給料が安くて自活できませんでした。

英語で仕事が出来れば食べていける!と3年の約束で親元に身を寄せ、英語学校の総務職員として働きながら英語を身に付けました。出勤初日には”Can I borrow your scissors?(ハサミを貸してください)“がわかりませんでした。

<38歳での自費留学>
3年かかって英語で仕事が出来るようになった後、外資系企業に8年務めました。
30代後半で人事の仕事の課題にぶち当たり留学を決意。

留学のきっかけは当時在籍して会社で起きた事件です。
アメリカ本社の研修プログラムをそのまま日本に入れた結果、ひとつの事業部の人間関係が荒廃してしいました。

そのとき強く「専門性がない人間が人事の仕事をして社員の人生に携わってはいけない」
と感じ、会社を辞めて学習理論と能力・適性・効果測定を学ぶためロンドン大学心理学部大学院自費留学。

その時の修士論文は上司評価を含む『360度フィードバック』に焦点を当てた:
“Upward Feedback? and in public? Application in Asian Culture!”
(上司評価?しかもほかの人たちの前で!)

アジア文化圏での「上司評価の是非と導入時の特別な配慮」についてです。
この時の学びに基づいた「海外本社の研修コンテンツを日本支社に導入する」は今でも私のコンテンツのひとつです。


<英語だけが弱点の部下を失う>
帰国後、世界最大の製薬会社、医療機器会社などで大きな仕事に恵まれました。
ところが大手外資系企業でのM&Aのさなか、私の右腕として活躍していた部下が

英語ができない」というだけで退職に追い込まれました。仕事はできる方でした。

管理職で海外との会議のとき発言できないのは致命的です。
「英語さえできていたら、一緒に仕事ができたのに」と、とても無念でした。
同じような運命にあったのは一人ではありません。

それ以降「仕事はできるのに英語だけできないビジネスパーソンの英語を伸ばしたい」という思いを抱きます。


<英語は筋トレと同じ!と筋トレ中に気付く>
2013年11月、ジムで筋トレ中にトレーナーさんの教え方を見て「英語は筋トレと同じ!」とひらめき、翌2014年
日本第1号の「仕事の英語パーソナルトレーナー」として開業。

2024年現在、個人契約のクライアントさんは著名人を含む90名、ワークショップ、動画教材での学習者は3,000人超にのぼります。



【著書】
『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』
『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』

【学歴】
1983年上智大学新聞学科卒業
2000年ロンドン大学心理学部 大学院卒業

【主な勤務先】
シーメンス、ファイザー、バクスター、モルガンスタンレー

【主な業績】
社長賞:個人受賞2回、グループ受賞2回

@シーメンス
・自社製コンピテンシーモデル制作 プロジェクトリーダー
・人事考課面接研修、企画・実施
・採用面接官トレーニング(深層背景面接)
・M&A人事制度・企業文化統合

@ファイザー
・社内公募企画運営(年間54件成立)
・管理職登用制度にアセスメントセンター方式を企画・導入
・社内MBAスクール、企画・運営
・360度評価導入

【資格】
・ケンブリッジ英検 (1987)
・IELTS 7.5 (1998) ※旧英連邦の英語4スキルテスト
・英国心理学協会の能力・適性テストの実施資格 (2000)
※企業で面接、適性検査、能力検査を実施する資格

【所属団体】
インディペンデントコントラクター協会 -前理事
DMM英会話 -法人向け英語研修講師 
DMM英会話「なんてuKnow」アンカー(回答者)
クインテグラル株式会社 -パートナー講師
NPO学習学協会 -認定英語学習コーチ
日本ケースメソッド協会-元理事

モルガンスタンレー、バクスター、ファイザー、シーメンス等の大手外資系企業で人事の仕事をしたのち、2014年より現職『仕事の英語パーソナルトレーナー』。
1960年東京都生まれ。

専門分野は人材開発と異文化コミュニケーション

著書に『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』
Udemy 動画教材に『シンプルに一度で伝わる!英語プレゼン初級者コース』『英語でチームがまとまる・仕事がはかどる「超入門」異文化間コミュニケーション術』がある。

自分自身が25歳でビジネス英語力ゼロから仕事を通じてビジネス英語を学ぶ。大手外資系シニアマネージャーの経験を活かして
英語力はあるのに、英語で仕事が出来ないお悩みを解決するため「英語ビジネスコミュニケーション」「異文化間コミュニケーション」を個人・法人向けに幅広く教えている。メディア取材歴多数。

ブログもやってます

メディア掲載

実績

2014年5月・「仕事の英語パーソナルトレーナー」を開業 日本第1号の英語パーソナルトレーナーとなる
2015年『読むだけでTOEIC®テストのスコアが200点上がる本』あさ出版より出版
Americal Management Association(当時)パートナー講師就任
インディペンデントコントラクター協会理事に就任
日本女子経営大学院にて女性管理職育成メンター就任
2017年『仕事の英語 いますぐ話すためのアクション123』すばる舎より出版
・Microsoft様にて管理職向け異文化間コミュニケーションワークショップ開催
2020年Udemy(ベネッセ)から動画教材『シンプルに一度で伝わる!英語プレゼン初級者コース』リリース
・ドイツ系自動車部品メーカー次期役員候補育成プロジェクトに参画
2021年・Udemyより2本目の動画教材『英語でチームがまとまる・仕事がはかどる「超入門」異文化間コミュニケーション術』「シンプルに一度で伝わる!英語プレゼン初級者コース」をリリース
・上記Udemy2コースとも日経225社向けUdemy Business に選ばれる(評価上位3%のコース)

なぜ私が英語コミュニケーション術を教えるのか?

1983年 上智大学新聞学科卒、(株)西友に入社。
広報室に行きたかったのに想定外で人事部教育担当に配属されました。
世の中は高度経済成長時代で「国際化」という言葉が広まり、バブルの崩壊まではイケイケどんどんの時代が続きます。

当時は正直なところ「人材育成ってなに?」と戸惑いましたが、採用担当者が「適性がある」と判断されたなら、まずはやってみよう。と素直にその仕事に入りました。

英語が話せない就活生が日本企業に就職後、離婚を経て英語の世界に飛び込み、外資系企業へ

就活の時、外資系企業に応募する同級生がまぶしく、遠くから見ていたことを覚えています。でも就職4年目に離婚したため、ひとりで生活費を稼がなければならなくなりました。

英語を身に付ければ仕事の幅が広がり、食べていくのに困らなくなるだろうと考え、イギリス系語学学校インターナショナルランゲージセンターに転職。
出勤第一日目から英語が全く聞き取れず、なんどもSorry? Sorry?と聞き返す日が3ヶ月続きました。
でも「出戻り」の職ナシになるわけにはいかないと歯を食いしばって、毎日周りの人たちの英語を聞いて練習するうちに英語を聴き取る、話すができるようになりました。

その後モルガンスタンレー人事部で採用業務を通じて英語での電話、Eメール身に付けた後、(株)バクスターのR&D部門に入社しました。

R&Dの研究所長のバイリンガルセクレタリーとして世界各国の社員とのやり取りを経験。
社内公募で再び人事部教育担当にもどりました。

当時まだ珍しかった「360度評価制度」(上司評価含む)の導入を担当したことがきっかけで、人事の基本になる心理学と最先端の人事の知識・スキルを学ぶ必要性を感じて留学を決意しました。

人事の専門性を高めるために、38歳でロンドン大学心理学部大学院に留学

学生寮に住み、丸一年間(イギリスの大学院は履修期間1年間)休みなく、みっちり学びました。帰国後、バクスターに戻りたかったのですがリーマンショックのあおりを受けて採用凍結が敷かれ戻れなくなりました。

そのため半年の就職活動の結果、ファイザーの人事部に職を得て、大学院で学んだ世界最先端の知識を活かすこととなりました。管理職昇進制度、コンピテンシーモデル作成、オンライン360度評価の浸透など、海外の最先端の制度を企画、導入、運用を担当することができました。

新しい企画の承認を役員会で取り、その後は各事業部に導入のためのプレゼンをする。プレゼンテーションを磨いたのは振返えってみるとこのときです。

役員会に足しげく通うことで当時のカナダ人社長からは「やあ、また君か!」Oh, it’s you again! と覚えてもらい、上司からは「人事の切込み隊長」というあだ名を拝命しました。

その後シーメンスで人事のM&A業務を経験した後、初の採用・人材開発シニアマネージャーの兼任をすることになり責任範囲は16グループ会社に及びました。このとき社長から呼び出されて給与が半年遡って1.5倍になりました。外資系の成果主義とはこういうことだと実感しました。この時代は国内外で2つの業務を担当していたため、毎日1つから3つの国際電話会議に出席していました。

今、振返ると大手外資系企業での実務経験は25年。その間に4度の社長表彰をプロジェクトリーダーとして、またはメンバーとしていただきました。

なぜ会社を辞めて英語のビジネスコミュニケーションを教えることにしたのか?

私はTOEICの満点を取ったことはありませんし、試験のための勉強をしたことはありません。必要な英語をひとつひとつ覚えて使い、間違っては覚えるの繰返しでした。・そのために心がけたのは常に誰に対しても明確で失礼のないメッセージを発信することを心がけてきました。

シニアマネージャーになってから採用と人材開発の両方の責任者になりました。
部下の皆さんは帰国子女のかたや、海外で仕事をしていた英語が堪能な方ばかりでした。

英語のせいでキャリアの選択肢を広げられないのはもったいない!

ところが英語が堪能なはずのメンバーに「今度の役員会で、それプレゼンしてみましょうか?」と声を掛けると「できません!」「河野さん、やってください」という答えばかり。代わりに私がプレゼンをすることが多かったです。

またM&Aのさ中、仕事がとてもできて私が自分の片腕として頼りにしている方が「英語ができない」というだけで組織を去らなければならないという事件がありました。

そのとき強く思いました。

「仕事ができるのに英語が出来ない人、
英語ができないばかりに経営陣に知られることのない人、
グローバルのプロジェクトに参加できない人がいる。モッタイナイ。なんとかしたい!」

まだ元気な50代前半のうちに、英語のビジネスコミュニケーションを教える仕事をしたい。と思うようになりました。
まだこのときは「どういう形式で教えようか」という具体的な形は思いつきませんでした。

「英語のパーソナルトレーナー」というタイトルは筋トレ中に突然降ってきました。

さてここからは、当時まだなかった「英語のパーソナルトレーナー」という仕事の仕方を思いついた瞬間のことをお話しさせてください。
「英語パーソナルトレーナー」という発想と名前はおそらく私が日本で第1号だと思います。それは2013年の11月のことです。

実は会社を離れて開業準備にはいったとき「どうしたらビジネスパーソンを英語を話せるようにしてあげられるか」ということを寝ても覚めても考え続けていました。

空いた時間で始めたトレーニングジムで、初めてパーソナルトレーナーさんに付きました。
マシーントレーニングをするときにトレーナーさんしてくれていたこと。
それは;

  • このトレーニングは何に効くのか説明しする
  • どういう動きをするのかやってみせる
  • 生徒である私にやらせてみる
  • うまく行けば一緒に喜ぶ!改善の余地があれば指摘してできるまでさせる

パーソナルトレーナーさんと①から④の手順で筋トレをしながらをしながら「英語を教えるのも、この方法だ!」と思いました。
以前から「仕事で使う英語って机に向かって勉強するものんじゃないよね。使わないとだめだよね」
そんなふうに思っていた私は「英語のパーソナルトレーナー」という仕事の仕方を始めよう!と決心しました。
翌、2014年5月1日付けで私は税務署に「仕事の英語パーソナルトレーナー」という屋号で開業届を出しました。

2年後から大手の英語パーソナルトレーナーの会社が続々と市場に参入して、今では英語パーソナルトレーナーは
当り前の存在になりました。

10年経った今、提供できるプログラムは元々のビジネス英語から広がって英語のビジネスコミュニケーション術全般となりました。
ときには法人契約で、マイクロソフトさん、ドイツ系自動車部品メーカー等で管理職向けの英語のワークショップも開催しています。

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