社会人の海外留学:ロンドンの学生寮に住む 1999年ミレニアム前年

この記事は社会人で、今後海外の大学院に留学を考えている方のためのものです。
様々な国から来た人たちと学生寮で暮らした日々のことを、私個人のものの見方で書きます。時期はミレニアムを控えた1999年9月末から翌2000年の9月22日までの1年間で、日本ではコンピューターの2000年問題が取りざたされている時期でした。

Dean House, Goldsmiths College, University of London

なぜアメリカでなくてイギリスだったのか

私が海外で心理学の勉強をしたいと思うようになったのは38歳の時です。
きっかけは当時仕事をしていたアメリカの会社の人事部で「360°評価」の導入を担当したことでした。

「360°評価」とは管理職の外から見てわかる行動面を上司、部下、同僚が点数をつけ、その評価者たちが管理職の周り360°から評価するということからこの名前が付きました。

多面評価は上司だけの評価よりも結果が客観的であるからこそ、傷つく管理職は少なくありません。「人事の仕事って人の人生を左右する」と感じて「専門知識もないのに携わるのは社員に失礼だ。勉強しよう」と思ったのが大きな動機です。

ところでなぜ国内やアメリカでなくてロンドンだったのか?という理由は

・ 当時日本の大学で人材開発を扱う大学、大学院がなかった(今ではいくつもあります)
・ 車の運転ができない私が車社会のアメリカに住むのは不便
・ アメリカは医療費が高額。持病が複数ある自分が体調を崩したら膨大なお金がかかる
・ ロンドン大学には自分が学びたい各種アセスメント、評価、効果測定が学べるコースがあった
・ ロンドンは地下鉄網が発達しているので車がいらない
・ イギリスはNHSという医療制度があり留学生でも基本無料で診察が受けられる(今は変わったようです)
・ イギリスの大学院は1年で卒業できる。社会人の自費留学にはありがたい(その代わり休みはない)

と、これだけイギリスへの留学に利点があると「イギリス、ロンドン!」ということになります。

そして1999年9月23日、私はロンドンへと旅立ちました。

家を出て駅のエスカレーターを上がっていくときに、まるでジェットコースターがピークに向けて上り詰めていくような感覚があり「もうもどれない。あとは突っ走り切るだけ」という切迫感があったのを今でも生々しく覚えています。

ロンドン South East 14の暮らし

ロンドンのセントラルにあるホテルに一泊した翌日、London SE (South-East)14 にある学生寮Dean House に到着。

寮から大学の門まで道を渡って約3分という至近距離にあり、これは大変ありがたいことでした。学期が始まってみてわかったことはクラスメートのほとんどの人たちは1時間ちかくかけて電車で通ってきていました。

イギリスの鉄道は遅れるのが当たり前で、毎朝ラジオからはどの線がどれくらい遅れているかの情報が流れてきます。
そして遅れの原因は常に due to the shortage of resources ということが決まり文句で、つまり人手不足です。

その人手不足の原因は drinking too much alcohol in the previous night だということを現地で仲良くなった人から聞いたことがあります。今の日本だったら公共交通機関の運転手がお酒の飲み過ぎで遅刻したり出社できなくて電車が遅れたらSNSで袋叩きにあうのでしょうね。

こんなふうにイギリス人がアルコールや時間の遅れに対して寛容なことや、寮の生活で世の中にいろいろな人がいるのが当たり前になってしまったことなどで、モノの見方が広がり、なんでもあり、ダメもとで交渉してみようという価値観が身に付いた気がします。

学生寮に住んで大変だったこと/良かったこと

さてここからが本題です。大学と学生寮はロンドンのSE14という住所にあり、私が住むことになったのは 前出のDean Houseという比較的新しく設備もきれいな建物でした。

実は今回画像を検索して分かったことは、昨年から Dean Houseは閉鎖されて商業施設 Yip Oriental Store になっていること。ちょっと寂しいですね。

Dean Houseの3階(イギリス式ではSecond Floor)で自分を含めて5人が同じフロアに住んでいました。イタリア人♀、ポルトガル人♀、バミューダ人♂、ナイジェリア人♀そして日本人の私♀。一番若い人がナイジェリア人の28歳で最高齢が私の38歳です。
この同じフロアに住んでいる人たちのことをFlat mate と言います。
学部も経歴もバラバラで唯一の共通点はPost Graduteといって修士号か博士号を目指しているということだけ。

1フロアには5人それぞれの個室と共有キッチンがあります。個室にはシャワーブースとトイレがユニット式でついていて暖房完備でした。冷房はナシ。

当時のロンドンは今ほど温暖化が進んでいなかったのと、湿度も低くて窓を開ければ夏でも快適でした。ウィンブルドン選手権の中継を見ると分かりますが真夏のロンドンは空が抜けるように青い日が多く、夜10時くらいまで外が明るいのです。

さて、充分大人のはずの私たちでしたが、国が違い、それぞれ性格も価値観も違う人5人が暮らすと何が起きるか。その話を少しご紹介します。

学生寮に住んで大変だったこと: とにかくみんなマイペース

<夜中に知らない人たちが廊下を行進している!>

住み始めてまだ間もないころでした。
夜中にどやどやと足音と話し声がします。

恐る恐るドアを少し開けて廊下を除くと3,4人のカジュアルな服装の男の人たちが一番奥のRichardの部屋のドアに向かって歩いて行きます。

時刻は夜の11時をとうに過ぎています。
他の部屋の3人も次々とドアを開けて顔を出します。口々に

「Richard, 何の騒ぎ?」「どうしたの」「この人たちだれ?」と質問攻めになったところ

Richardは
「近所のパブがもう閉まっちゃったから連れてきたんだ」というのです。

「知り合いなの?」と更に聞くと
「No.」

当然、皆さんにお引き取りいただくことになりました。
その晩は何が起こるか分からない、と自分の身は自分で守るほかないと実感してドアの内側に引っ越してきてまだ開けてない箱を積み上げて寝ました。

パブは健全な市民生活のために午後11時になると店を閉めるのです。お店の人がカランカランと手振りベルを鳴らして閉店を知らせます。それでも地下鉄の運転手さんには飲み過ぎて遅刻や欠勤をする人がいます。家飲みでしょうか?

<共同キッチンの現実: 常識はひとそれぞれ>

キッチンは5人で使います。比較的大きな調理台と3つ口のホブ(ガス口)、流し(シンク)と大きな冷蔵庫。5人それぞれ、生活パターンが違うので調理台を使う時間がかち合うことがありません。流しの下の収納庫は1人ひとつあてがわれ、収納庫の扉に各自がタオルをかけています。

私のタオルは地味な色だけれどイタリア人のそれはミッソーニ風のカラフルなタオル。食器は歴代の学生が残したものは共同で使いますが、それぞれお気に入りの持込食器もあります。

そしてこの共同で使う食器がトラブルの元になりました。
食器の洗い方は人によって違う。綺麗・清潔の尺度も違う。ある人は洗剤をよく洗い流さず食洗カゴに立てかける。他の一人は目玉焼きの黄身がこびりついているのを洗い落とさない。たまになら見逃せても、毎日のことなのでご本人以外のメンバーは本人がいないところで「どうしよう~!」と騒ぎになります。

最終的にはだれかがやんわりと本人を諭すのですが、そこまでの道のりは結構長いのです。お互いの価値観が違うってわかっているからどう伝えようか考え込みます。

簡単にフラットを替わることもできませんから人間関係は良いに越したことはありません。冷蔵庫は5人が共同で誰がこのあたり、彼はそのあたり、となんとなく収納場所を住み分けて使います。お互いが何を食べているのかは一目瞭然。ベジタリアンもいるしチーズやサラミを毎日食べる人もいる。

現地の野菜の種類が日本に比べて少ないので、私の場合は緑黄色野菜はブロッコリーと決めて常に買ってありました。あの1年で一生分食べてしまったのか、今ではあまり食べたくない。

あるとき冷蔵庫の扉を開けるとぽたぽたと一番上の棚からしたたり落ちるものがあります。なんだろう???と見上げると巨大なきゅうりが腐って崩れて、したたり落ちているのです。

袋にも入れず、むきだしの使いかけのきゅうりが雪崩状態になっている。
これも日本人にいたらできない経験だろうな。と思いながらも感心している場合じゃないのでご本人に知らせてお掃除をしてもらいました。

<おにぎり用のご飯がおかゆに>

私は基本、朝ごはんには和食を作りました。自分で付ける白菜漬け。これはChinese Leavesと呼ばれる小振りな白菜を塩水と唐辛子、ニンニクをいれて水を入れたヤカンで重しをする。おいしくできます。

他には日本から持って行った梅干し。そして現地のスーパーで買えるサバの燻製。これをオーブンで焼くと日本で食べるサバの塩焼きと似ているのです。それと韓国食材店で買ってくるキムチや韓国のり。なんちゃって和食朝ごはんの出来上がりです。

私が朝ご飯を食べているとイタリア人が「これは何?」「それ魚臭くない?」とちゃちゃを入れてきます。お掃除に入ってきたカリビアンのお掃除おばさんに

「Look! この日本人は日本食を食べているわよ!」と声を掛けるのですがお掃除の人は他国の文化には全く興味がないらしく、さっさと掃除を済ませて出ていきます。

あるとき思いついてJapanese Mother’s Dish Dayというのを思いつきました。
カレーを大鍋に作ってみんなに食べてもらおう。と他のフロアの人にも声を掛けました。

日本のお母さんの味。をキャッチフレーズに「ご飯は持参、カレーは私が作るので食べ放題」を開催したらイタリア人や他のフラットの日本人男子も現れて最高1人3皿平らげていました。

他の日には高菜チャーハンを作ったり、とんかつを上げて(イギリスの豚肉は美味しい)フィンガーフード的に切り分けて食べたり寮住まいにしては豊かな食生活を送っていました。

そういえば当時はパン粉がなくて”Bread Crumb”という小さな紙箱に入ったものをつかいましたが、今では”Panko”はFish’n Chips”で人気の衣になっているそうですね。

ある日のこと。他の寮から遊びにくる友達におにぎりを準備することにしてソースパン(小型鍋)で白米を炊いていたのです。お米はカリフォルニア米の「錦」というお米。おにぎり用ですから少しだけ固めの水加減にしておいたら。

ほんの少しキッチンから自室に用を足しに行って戻ってみると。。。
キッチンでフラットメイトの一人が

「Yuko, お米を炊いているお水が無くなりそうだったから、足しておいてあげたわ」とニコニコしながら立っていた。。。

おおおおっ! 鍋の中にはおかゆのようなご飯が。
「お気持ちはありがとう。でもこれは rice balls を作るためのご飯だから少ないお水で炊くの。もう触らないでね。水が少なくても大丈夫だから」と説明して一段落。そのあともう一度ご飯を炊きました。

<薬物の売人が同じフラットの中にいる>

フラットメイトの中に薬物をやっている人が居ました。なぜわかるか?というと。独特な臭いがします。多分その人のドアの隙間から漏れて来るのでしょう。カーナビスという麻薬の一種で、当時イギリスでは10代の若者に常習者が増えているのが問題になっていました。

私はその臭いが苦手で空腹時にかがされると頭が痛くなりました。
まあ、自分でやる分には勝手にやったら?と思いますが困るのが友人を呼んで共有キッチンでお茶をしているときに
「いいのがあるよ」「やってみる?」と誘いに来るのです。ほんとにドラマに出て来るヤクの売人という感じです。
お小遣いが欲しいのかもしれません。

そんなとき私は
「悪いけど、私たちはおしゃべりを楽しんでいるのだからほっておいてくれる?」
と素っ気なく追い払いましたけれど。日本にいたら多分経験することはなかったと思います。

<巨漢の酔っ払いイタリア人女性に詰められる>

ある晩、共同キッチンで翌朝の朝食の準備をしていたところフラットメイトの1人、イタリア人のAさんが外から帰ってきました。
彼女はとっても別嬪さんなのですが身体が山のように大きく激しい性格で、ご近所のイタリア人男性から
「Yuko, 彼女を典型的なイタリア人だと思わないでね」と忠告されていたくらい。

心理学部の博士課程に籍を置いています。
そのAさんが物凄く酒臭くて。泥酔一歩手前位です。そして私につかみかかって来たのです!

「Yuko! ワインを3本飲んじゃったの!でも明日の朝、二日酔いだとマズイの!
だから、何とかして!絶対に直して!」

って私のせいじゃないのに。。。逃げたかったけれど見捨てるのも可哀想かな。明日大切なことでもあるのかな?と思って手を貸すことにしました。二日酔いといえば血糖値が下がることからくる気分の悪さ。とどこかで聞いたことを思い出して

「砂糖水を作るから、それを飲んで寝て!」と大きな計量カップに大量の砂糖とまずはお湯を入れて砂糖を溶かし

それから水を足したものを差し出しました。大量の砂糖水を口からこぼしながらも一気に飲み干すと計量カップをテーブルの上に投げ出して
“Thank you!”
と出ていきました。

翌朝、彼女はケロッとしてキッチンに入ってきて私を見ても何も言わず(もしかして覚えていない?)朝ごはんを作り始めたところを見ると、二日酔い回避は成功したようです。

それにしても自分が好きで3本のワインを飲んで「何とかしろ!」っていうのも極端ですよね。近所のイタリア人男子が「彼女を典型的なイタリア人だと思わないでね」と言っていたのもごもっともです。

学生寮に住んで良かったこと: 世の中なんでもありね。と達観できるようになった

事件のようなことばかり書きましたが、当然学生寮に住んでよかったこともたくさんあります。それは何といっても安い家賃で大学の至近距離に住めたこと。

当時の寮費は1月当たり40£くらいでした。たまたまその年だけ1ポンドが170円前後で次の年なら1ポンド200円近かったようで1999~2000年に滞在した私はラッキーでした。
一方ロンドン市内に自分でフラットを借りていた人はその何倍もの家賃を払う上に、あの遅れで名高いロンドンの地下鉄で通学してくる。一度遊びに行きましたが部屋も日本のワンルームと変わらない小ささでした。

それからありがたいことに同じ建物に居るいろいろな国からの留学生と四六時中顔を突き合わせているので、お喋りから難しい交渉まで(お皿の洗い方、腐ったきゅうりを片付けろとか)様々な英語表現とアクセントが身に付きます。交渉と言えば、ひとりひとりの常識が違うので、日常生活のすべてにおいて、こちらの主張を伝えて、相手の考えを聞いて、お互いの希望をすり合わせて合意するを毎日していました。日常的な会話力とマインドセットは劇的に成長します。

また自分が今まで出会ったことのない人たちと話す機会がありました。
学生寮には大学が契約している大工さんがいて、ドアや暖房設備に不具合があるとやってきます。イギリスはまだ社会階層が残っていて通常、階層の違う人同士は交わらないのです。大工さんはこの街 New Crossの生まれ育ちでロンドンのセントラルにさえ行ったことがないそうです。そして彼のお父さんもそうだったとか。どこへでも行きたいところには行ってしまう自分からは想像ができませんでした(私の弟も生まれ育ったところで家族を作って暮らしています!)

でも私が外国人留学生であるおかげなのか、その大工さんとおしゃべりしたり、近所のコインランドリー(Laundrette)でアルバイトをしている保育園の保母さんと仲良くなったり。

大学院の同級生以外とも話す機会に恵まれていました。多分Londonセントラルに一人暮らしをしていたら味わえないことばかりだったことと思います。

おわりに:

1999年から翌2000年というと既に20年も前のことを書いてみました。冒頭にも書いた通り私が暮らしたDean House は昨年から商業施設になっているようです。

とても寂しい気がしますが、少なくともこの記事をネット上に残すことで社会人の海外留学に興味がある方々の目に留まるといいなあと思って書きました。

日本で会社勤めをしていると想像もできないことがたくさんありましたが、この留学を通して自分が常識だと思っていたことが実は私だけの常識だということに気が付きました。

何か困ったら助けを求める。自分の思っていたことと違うことが起きたらダメ元で交渉してみるといった生きていく上の選択肢が増えたことは確かです。

社会人の海外留学はお勧めです。
私ですか?もう結構です。1年に363日、1日9時間以上、机に向かうのはイヤです。背中が痛くて体力的にきついです。
机に向かわなかったのはロンドンに居たちょうど1年365日のうちで2日だけ。
ただ、勉強するとは、過去の文献を読み漁り、自分なりの仮説を立てて、調査や実態を積み重ねて構造化していくことだという実感を得ました。それは日本の大学では経験したことがない新鮮なモノでした。

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